【江戸時代】江戸の三大改革と田沼の政治を解説!

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本日から、今までは数が少なかった社会や国語のブログも更新していきますので、ぜひ勉強に役立ててください!

今回は中学2年生がそろそろ習うであろう『江戸の三大改革と田沼の政治』を解説します。

静岡県の高校入試でも出題されることが多い内容なので、改革の内容があいまいな受験生にもオススメですよ!

大前提として、江戸の三大改革と田沼の政治が行われた順番は以下になります。まず時系列を頭に入れておきましょう。

江戸の改革

享保の改革(1716年~1745年)

田沼の政治(1772年~1786年)

寛政の改革(1787年~1793年)

天保の改革(1841年~1843年)

享保の改革(1716年~1745年)

1716年に8代将軍に就任した徳川吉宗が、江戸幕府の財政を⽴て直すために、将軍自らが先頭に立って改⾰を実施しました。これが享保の改革です。

具体的には以下のような改革を行いました。

上げ⽶の制

参勤交代の江⼾の滞在期間を半年する代わりに、お⽶を納めさせました。

新⽥開発

新しい田んぼを開発してお米の生産量を増やそうとしました。

定免法じょうめんほう

米の不作・豊作に関わらず、⼀定の年貢(お米)を徴収しました。

⽬安箱の設置

庶民の意見を聞くための意見箱を設置します。この結果、無料の医療施設である小石川養生所こいしかわようじょうしょや消防組織ができました。

公事⽅御定書くじかたおさだめがきの制定

裁判における基準を定めた法律を制定しました。

ヨーロッパ書物の輸⼊許可

キリスト教に関する内容でなければ輸入を認め、このことが蘭学の発展につながりました。

甘藷かんしょの栽培

飢饉ききん(自然災害で作物がとれなくなること)に備えて、⽢藷(サツマイモ)を栽培しました。

享保の改革の結果

徳川吉宗の享保の改革は、お米に関する政策が多かったため、『米将軍』とも呼ばれました。

彼の政策によって江戸幕府の財政は一時的に回復しましたが、同時に農⺠が年貢の引き下げなどを要求する百姓一揆や、都市の貧しい⼈々が⽶を買い占めた商⼈を襲う打ちこわしも増加していきました。

田沼の政治(1772年~1786年)

1772年に老中に就任した田沼意次たぬまおきつぐは、お米に頼る農業中心の政策から一転して、商業を重視した政策を行いました。

彼の政治は、現代に近い貨幣経済を基盤としたものでした。主な政策としては、以下のようなものがあります。

株仲間の奨励

商工業者が作る団体を株仲間といい、彼らに営業の独占権を与える代わりに、幕府が彼らから営業税を取りました。

蝦夷地えぞちの開発

⻑崎貿易の活性化のために、蝦夷地(北海道)を開発して俵物たわらもの(海産物)を輸出し、⾦・銀を輸⼊しました。

印旛沼いんばぬま(千葉県)の⼲拓

お⽶の収穫量を増やすために行ったが、洪水などが原因で失敗しました。

田沼の政治の結果

田沼の政治は、商業を活発にしましたが、賄賂が横行し、政治が腐敗する原因となりました。

また、天明の飢饉による凶作などから、各地で百姓一揆や打ちこわしが起き、田沼意次はその責任を取って辞職しました。

寛政の改革(1787年~1793年)

寛政の改革は、老中松平定信によって行われました。この改革の目的は、農業を重視する政策に戻すことでした。

松平は、徳川吉宗の政策を理想としました。主な政策としては、以下のようなものがあります。

囲い米かこいまいの制

飢饉に備えて、あらかじめ米を蓄えておく制度です。

帰農令

江戸に出稼ぎに来ていた農民を農村に帰らせ、米作りをさせました。

寛政異学の禁かんせいいがくのきん

幕府の学校では朱子学以外の学問を禁じます。(朱子学は上下の秩序を重んじる学問だから、幕府からしたら都合が良いんですね)

江戸には昌平坂学問所という幕府直轄の学校もつくりました。

人足寄場にんそくよせばの設置

軽犯罪者の更生のため、他の仕事に従事させました。

棄捐令きえんれい

旗本や御家人の借金を一部帳消しにしました。

寛政の改革の結果

寛政の改革は厳しい政策が多く、人々の反感を買い、失敗に終わりました。

松平の政治を皮肉って、こんな歌も生まれました。

「白河の 清きに⿂も 住みかねて 元の濁りの ⽥沼恋しき」

この歌には2つの意味があります。

1つは「あまり水がきれいすぎると、かえって魚は住みにくい。濁っている沼の方がむしろいい。」というもの。

もう1つは「白河藩主だった松平定信の政治は確かにクリーンだけど、あまりに厳しくて堅苦しい。それなら賄賂が横行したり汚い部分もあったけど、田沼意次の時代の方が良かった。」というものです。

松平の政治は厳しくて、人々には受け入れられなかったわけですね。

天保の改革(1841年~1843年)

江戸時代最後の改革は、老中水野忠邦によって行われました。

この改革の目的は、幕府の力を回復することでした。主な政策としては、以下のようなものがあります。

株仲間の解散

物価の上昇を抑えるために、株仲間を解散させました。

人返し令

江⼾に出稼ぎにきていた農⺠を村に帰らせます。

上知令あげちれい

江⼾や⼤阪周辺の⼟地を幕領(幕府の直轄地)にしようとするが、⼤名たちの反対にあい失敗しました。

天保の改革の結果

これといって改善することができず、わずか2年余りで失敗に終わりました。

三大改革と田沼の政治の結果

幕府の財政を改善するために、将軍や老中がさまざまな改革を実施しましたが、最終的には幕府の力を取り戻すことができませんでした。

そして天保の改革のあたりから外国船が来日するようになり、約200年間続いた鎖国体制も終わりを迎えます。

また別のブログで江戸幕府が滅亡するまでの流れを解説するので、楽しみにしていてください!

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