【平安時代】静岡市の中学1年生向け!武士の登場と白河上皇の院政を解説!

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今回は、中学1年生で習う平安時代の内容のうち、武士の登場白河上皇が行った院政を解説していきます。

白河上皇は、前回解説した藤原道長の次に日本を支配した人物です。

>>【平安時代】平安時代のはじまりと藤原氏の摂関政治を解説!

武士はどのようにして台頭したのか、また白河上皇はどのように日本を支配したのか、その流れを追っていきましょう!

武士の出現

白河上皇について説明をする前に、まず平安時代になって起きた社会の変化を説明します。

10世紀中ごろ(950年前後)になると、戦いのプロである武士が登場しました。

武士というと、平安時代の次の鎌倉時代くらいから登場するイメージを持っているかもしれませんが、実は平安時代から活躍していたんですね。

武士が登場するに至った経緯を説明していきます。

墾田永年私財法

奈良時代の743年に墾田永年私財法という法が制定されたのは覚えていますか?

国が口分田を与えられなくなったため、自分で開墾した土地は自分のもの(私有地)にしてOKという内容でしたね。私有地のことを荘園と言います。

そして人々は荘園で収穫したお米を国に納める(=)という形になりました。

不輸ふゆけん不入ふにゅうけん

平安時代になると、前回解説したように藤原氏を中心とした貴族が日本を支配するようになりました。

そこで彼らは、自分たちは国に税を納めなくてもOKとする権利を作り出します。これが不輸の権というものです。

さらにこれだけではなく、国司が荘園に立ち入ることを禁止する権利も作りました。これが不入の権です。

※不輸・不入の権をテストで書かせる問題は出ないので用語は覚えなくて大丈夫です。

この時代の各地方を治めていたのは朝廷から派遣された国司でしたが、悪い国司は重い税をかけるなどして他人の土地を奪ったりしていました。

こういったことを防ぐための不入の権なわけですね。

寄進きしん

このようにして、貴族たちは自分たちに有利なルールを作って私有地を広げ、権力を拡大していきました。

そしてこの仕組みを、貴族以外の土地を持つ人々も巧みに利用していきます。

その方法とは、自分が持つ土地を貴族に寄付するという方法です。

寄付といっても土地を完全に貴族にあげるのではなく、自分は引き続きその土地の管理人(荘官しょうかんという)だけど、名目上は貴族の土地ということにするんです。これを寄進と言います。

寄進をすることで貴族の土地という扱いになるので、不輸・不入の権がはたらき、その土地の管理人は国に税を納めたり、国司に何かされる心配がなくなります。安心安全なわけですね。

貴族にはもちろんお礼としてお米などを納めますが、国に納めるよりは少なくて済みますし、貴族側も特に何もしなくても利益が発生するのでメリットしかありません。

武士の需要の高まり

ここまでの話を踏まえると、この時代は土地の価値がとても高かったことが分かると思います。

そのため、土地をめぐって争いが起こるようになりました。

そうなると、自分の土地は自分で守る必要性が出てくるので、武装する者が増えますよね。

また、貴族たちは戦いが得意ではないので、戦いのプロ、つまり武士を雇うわけです。

このようにして、武士という存在にスポットライトが当たるようになっていきました。

有力な武士たち

武士はしだいに勢力を拡大し、武士団というグループを作っていきます。代表的な武士団が平氏源氏ですね。

彼らが平安時代の後期と鎌倉時代に活躍します。

他には935年に千葉で国に対して反乱を起こした平将門たいらのまさかどや、939年に瀬戸内で反乱を起こした藤原純友ふじわらのすみともが有名です。

また、1051年~1062年に前九年の役ぜんくねんのえき、1083年~1087年に後三年の役ごさんねんのえきという東北地方での争いが起き、それを源義家みなもとのよしいえが平定したので、関東地方での源氏の支配が強まりました。

東北地方は奥州藤原氏という一族が統一して、平泉(岩手)を中心に栄えます。

彼らが建てた中尊寺金色堂は世界遺産にも登録されていて非常に有名ですね。

白河上皇と院政

では今回のメインである白河上皇と院政について解説していきます。

11世紀後半(1000年代後半)になると、これまで政治の実権を握り続けていた藤原氏の勢力が弱まり、藤原氏と血縁関係が薄い後三条天皇ごさんじょうてんのうが即位しました。

そしてここから再び、天皇中心の政治に切り替わっていきます。

後三条天皇の次に天皇に即位したのは白河天皇です。

白河天皇は、天皇の位を当時8歳の息子に譲って上皇(元天皇のこと)となり、上皇という自由な立場から政治を行いました。

上皇の住まいをと呼んだので、上皇が行う政治を院政といいます。

1086年から始まった院政は、ここから約100年近く続きました。

また、白河上皇は院の警備員として武士を雇ったので、武士の地位も向上していくことになります。

白河上皇は院政を行って絶大な権力を握りました。彼が残した有名な言葉があります。

白河上皇

賀茂川かもがわの水、双六すごろくさい山法師やまほうし。これぞ我が心にかなはぬものや。」

意味は「賀茂川(現在の鴨川)はいつ氾濫するか分からないからどうしようもない。サイコロの目は運だからどうしようもない。山法師(比叡山の僧兵)の訴えは悩みの種だ。しかしそれ以外はすべて自分の思い通りだ。」といった感じです。

藤原道長の歌と同様に、いかに白河上皇が権力を握っていたかがよくわかりますね!

武士の登場と白河上皇の院政 まとめ

以上が武士の登場と白河上皇の院政の内容になります。

平安時代の2人目の権力者である白河上皇と、彼が院政を行ったという点をしっかり理解しておきましょう!

また、平安時代から武士が台頭してきたという点も、今後に繋がるポイントです。

次回は平安時代の最終回で、最後の3人目の権力者が登場します。

そして平安時代が終わり、鎌倉時代に続いていきますよ。

ぜひ楽しみにしていてくださいね!

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